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日記のような何か

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2011年 04月01日(Fri) [長年日記]

_ [TCG][MTG]昔語り - プロツアーNY'98予選(その3)

その2はこちら

予選ラウンドは順調に勝ち進んでいた。何せ2色デッキが組めるほどカードプールに恵まれているのだ。途中一度ジャッジによるデッキチェックで自分と同じ苗字の人のデッキシートを参照されて、「登録内容と全然違うんですけど……」と言われてビビるという事件があった程度である。ある男と対戦するまでは。

この一連の記事の最初に福岡に遠征した理由の一つとして、福岡のプレーヤーのレベルが低いことを挙げたわけだが、もちろん同じ事を考える人間は他にもいるのである。そう、とうとう東京からの遠征組の一人と戦う事となったのだ。

戦いは熾烈を極めた。デッキの性能は恐らくこちらが上回っているのだが、とにかく相手のジャッジアピールが激しいのである。と書いても良く分からない人が多いと思うので補足するが、当時はMTGトーナメントの歴史の中でも「暗黒時代」と称されるほど酷い時代だったのである。

一言で書くと「常軌を逸した厳しいルールが適用された時代」だったのだ。例えば宣言を少しでも省略すると警告が飛び、同じミスを2回すると即座にデュエルロスが適用される程だった。他にもドローフェイズ後のメインフェイズへの移行を明言せずにクリーチャーを召還しようとすると、すぐに対戦相手にジャッジを呼ばれてマナバーンで即死する*1といったケースもあったほど。

はっきり言って「揚げ足を取って相手を敗北に追い込んだ方が早い」、「対戦相手と戦う前にまず'ルール'と戦わなければいけない」などと言われていた時代だったのである。

ちなみに福岡のプレーヤーは大きな大会の経験がほとんど無い事もあって、ルールには大らかだった。もちろんこちらも細かいミスを指摘するような事はせず、あまりギスギスした対戦にはならなかった。

しかし東京から来た対戦相手は違った。彼は大きな大会に慣れており、些細なミスも見逃さない。私も気をつけていたにも関わらず、注意と警告を一度づつ受けてしまった。対戦はとてもギスギスしたものとなり、精神的にとても疲労したのは言うまでもない*2

最終的に勝利したものの、この男とはおそらく決勝トーナメントでも当たるだろうな。福岡まで遠征してきても結局、遠征勢を倒さなければプロツアーには行けないのだ。と、強く思った戦いであった。

続く

*1 ドローフェイズにクリーチャーは召還できない。一方土地からマナを出す事自体は可能なので、プレーヤーは生み出したマナを処理できずにマナバーン(自爆)するといった理屈。

*2 一応書いておくと、私はそんな揚げ足取り合戦のような対戦が嫌いで、小さなミスでは絶対にジャッジを呼ばないようにしようと心に決めていた。


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